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ファッションに必要なのは「自分はこれでいい」という信念だ

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ファッションブロガーのアンナです。

このブログを始めてから自分のファッションに対する考え方とか、いろんな人のファッションを見るようになって感じたことがありました。

それは「ファッションに必要なのは”自分はこれでいいんだ”っていう信念」だってこと。

 

想いがないものは”ファッション”ではない

わたしが服に関心を持ち始めたのは小学6年生あたりからでした。

そのときはただひたすら「かわいくなりたい」っていう一心で、キラキラした服、明るい色の服を選んで着るようになっていきました。

今思えば小学生中学生の頃の服装なんて幼稚で変な格好してたなって思うけど、たしかにその時は「絶対にかわいい自分でありたい」っていう強烈な想いが芽生えていました。

 

そこには「かわいく見られたい」という他人からの評価よりも、自分自身のこだわりというか、自分なりの「かわいさ」を追い求めたものを着ていたなと思います。

 

わたしは、想いのない着こなしは”ファッション”ではないと思います。

それはただの服と服の組み合わさったものってだけ。

「自分はこうありたい」という想いがあるからこそファッションが生まれるのだと思うんです。

 

他人にどう見られるか、よりも”どうありたいか”

ただ思春期の頃とかは好きな男の子やまわりの女友達から「どう見られるか」ばかりを気にして服装を考えていたなぁと思います。

それって実際「自分の好きなファッション」ではなく「他人に受け入れてもらうためのファッション」だったりして、自分がどうありたいかよりもどう見られるかを優先した服ばかりでした。

それも結局”ファッション”とは言わないなって思うんですよね。

自分の想いよりも他人の感情を優先させているから。そんなのただの”媚びた服装”ですよね。

 

だから以前はわたしも好きな男の子に好かれようと、履きたくないスカートを履いて、好きでもない淡色のカットソーを着たりしていたけど、やっぱり息苦しかった。

 

大切なのは他人にどう見られるかよりも自分がどうありたいかを表現することだと気付いたんです

 

信念のあるファッションはどんなものでも美しい

まわりからすれば理解できないような服、「ダサい」と叫ばれるような服、いろいろあると思うんですが、わたしはそこに信念があれば美しいファッションだと思います。

そしてその揺るがない信念って、服を通して伝わる人には絶対伝わるんですよね。

 

だからわたしは他人にかわいく見られたいという想いはなくて自分が「かわいい」と思えるものを選びたいし、

自分自身が納得して身に纏えるもの・自分のモチベーションを少しプラスしてくれるものを着続けたいし、

そういう想いをもってファッションを楽しみたい。